浜名高
(理数系男子選抜進学クラス)

奥羽大

浜松医大

日立製作所多賀総合病院

浜松医大

やすらぎ
 

(院長直通メール) 
サッカーデンティスト®


やすらぎデンタルクリニック院長:鈴木真幸
 親が「医師」でないけども、自分の「意志」で(笑)歯科医師になりました。
全然、畑違いの若輩者の自分がカネもコネもないのに、現役合格のため、たった24歳という点滴一つもできない小心者が、最先端医療の浜松医大の研修医に採用され、医療の世界に飛び込んで、突っ走ってきて、そりゃ風当たりは強かったです。
「あんたなんて辞めちまえ!!」なんて、オペ室で怒号が飛ぶのは当たり前で、手術台の下から蹴りは入るし、怒鳴り声と一緒に手術器具も飛んできました(笑)
勤務医の時は、教授を筆頭に当時の縦社会や学閥、人間関係や製薬会社との癒着、葬儀屋との癒着、接待・・・いろいろ見てきました・・・
夏になると、ケンカで顔を殴られとか、救急搬送の患者さんがICUに運ばれ、自分はしょちゅうICUに出入りしてたので、「死」もいっぱいみました。その後の死亡診断書もいくつか書きましたが、ボスからは「字が汚い」と何をやっても怒られました。
自分は遠州弁バリバリの遠州っ子で、標準の日本語もままならないのに、オペレコ(手術記録)、論文は読むのも書くのも英語で、「お前は英語の前に、日本語勉強してこい!!」(笑)と何度も怒られました。
おかげで、今は何とか、つたない日常英会話はしゃべれます。
遠州弁の英語ですけど・・・(そんなワケない)
学生の指導の時も、医大生の講義の手伝いに行った時、ボスの先生には「あんたが学生に指導してもらいなさい」などと言われて約100人の学生を前に大笑いされました(笑)
毎朝、365日、必ず朝のカンファがあって(もちろん、土日祝も年末年始も入院患者さんがいるから休めない)、形成外科の医師がいるので、まず、医療用語からして理解できなく、結構泣いた(隠れてですけど・・・)
幸いにも、ここ浜松が生まれ故郷であり、友人、知人が異業種に散在していたという、恵まれた環境が唯一の救いでした。いろんなアドバイスもらいました。
医大の勤務医になったら、ステキな恋をして、結婚してって考えてたのは働く1日前までで、働きだしたら、恋愛もできない、結婚もできない、それ以前にモテない(笑)その分、今となっては、皮膚移植、骨移植、血管吻合、腫瘍摘出など多くの勉強ができました。歯科開業医ではほとんどしない、点滴、挿管、動脈血ガス、IVH(当時)、など、今でも手の感覚は残ってるので負ける気がしない。
それでも常に初心に返り「患者さんの笑顔がみたい」こんな思いで私は歯科医になりました。でも、歯が悪ければ思い切り笑えませんよね。
 今までの歯科は、虫歯になった歯を削って埋めてという治療が大半でしたが、これからは、いかに虫歯を作らずに済ませるかという時代です。虫歯を作らなければ治療をする必要もありません。
 しかし、もしあなたの歯や口の中でトラブルが起こったら、ぜひ当クリニックにおこしください。
 虫歯一つ治すにもさまざまな方法があるのです。プラスチックで埋める、金属で埋める、保険で治療する、1日で終わる、歯と同じ色で治療する、麻酔をする、レントゲンを撮る・・・。
 当クリニックでは、すべてにおいて患者さんにとっての利点、欠点を情報提供します。黙ってどんどん治療を進めるのでなく、患者さんと相談のうえ最善の方法で治療を行います。
 「あそこに行けば何とかなる」という当施設の目的でもあるように、「あのクリニックならなんでも相談できる」というような、「先生」ではなく「医療に詳しい友人」として、一方的な関係でなく、「対話」も心がけていくつもりです。
 歯はできるだけ抜かずに、また治療した歯はできるだけ長持ちさせるためのアドバイスもさせていただきます。
 患者さんに「やすらぎ」を与えられるような、「身体の痛み」ばかりでなく「心の痛み」も分かる事のできるクリニックにして行きたいと思っています。
 また、自分が死亡交通事故の被害者という立場より、数多くの交通事故後の顎顔面外傷、顎関節の打撲、脱臼の治療を経験しました。
 交通事故後の診断書、明細書の作成、弁護士や保険会社との面談も数多く行ってます。

 

 いくらいい勉強会に出席しても、いくらいい技術を磨いても、それ以前に「患者さん
のお話」を聞く事が重要と思います。

・所属団体
 日本口腔外科学会
 日本口腔科学会
 浜松医科大学 発達研究センター(協力)
 浜松医科大学 感染症学講座
 静岡県寄生虫症研究会
 浜松医科大学歯科口腔外科(研究員)
 
 NPO法人国外逃亡犯罪被害者をサポートする会
 (副理事長)

・著書論文
 日本口腔外科学会誌46巻6号
 日本口腔科学会誌50巻4号

・交通事故外傷専門医 
 トラフィックアクシデンティスト®
 (交通事故後の歯やアゴの打撲、骨折)

・学会発表
 日本口腔外科学会
 日本口腔科学会

・障害者歯科協力医

・生活保護医療担当機関

 
・ジュビロ磐田トップチーム
 健診担当医













やすらぎデンタルクリニックのスタッフ
明るい笑顔と思いやりの心でみなさんをお迎えします。
院内でご不便を感じられたら、気軽に声を掛けてください。いつでもお手伝いいたします





鈴木真幸院長プロフィール 写真はクリックすると大きくなります


両親とも会社員のごく普通の家庭で、遠州っ子として浜松に生まれる
小学校の時は数回学級委員を務める
(胸に学級委員バッジ)

小学生の時より、自分の名前の「真幸」という名前は「真の幸せ」だと思い、この真の幸せはどれだけ自分が幸せになるかという意味じゃなく、周りの人がどれだけ幸せになるかが真の幸せといつも考え、周りの人を笑わせる性格でした
細かく手先を動かす事が得意でピアノを習ってました
(当時は女性の中に男性一人でした)



浜松市内での発表会





小さいころから細かいものを作るのが大好きでプラモデルクラブに入っていました。
第3回バンダイプラモデルコンテストで努力賞を受賞しました。



 
自動車雑誌のプラモデルコンテストでも数回掲載

  
あまり成績が思わしくなくちょうけてばっかの中学時代
佐鳴学院に入学(現:佐鳴予備校)入塾テストでSAクラスになれました(Aクラスのさらに上)成績で席順を決めるなど斬新的な佐鳴の熱血指導によりお正月も佐鳴へ
みるみる成績が上がり中学全体で325人中50位だったのが学年6位にまで急上昇しました


静岡県進学模試



静岡県民中学3年生8932人中数学で1位になりました



静岡県立浜名高校に入学(理数系男子選抜進学クラス)


オーストラリアにホームステイしていたころ

今もある小林グラウンド 受験戦争まっただ中、なにがなんでも現役で進学したいと思って高校3年生の夏休みは、1か月間、全寮制の埼玉県の医歯薬系の大手予備校の夏期講習に参加この時のほとんどのメンバーは、今では立派な医師、歯科医師、薬剤師になっている



  奥羽大学に入学
現役合格しましたが、留年、浪人はしないよう、一生懸命勉強しました。



決して裕福な家庭で育ったわけでなく、親が医者でもないので学費、生活費のため、引越しシーズンの春には毎年、浜松インター近くの北島町の「ハトのマークの引越しセンター」まで原付で行き、バイト
夏には静大近くの城北まで自転車で行き、重量設置、移動でユニックの4トントラックでバイト
この時の経験、出会いが庶民の気持ち、困っている人の気持ちになって考える人格形成が出来上がったと思います。



自動二輪の免許は浜松綜合
偶然にも当時の校長は自分の親戚で旧菊川警察署署長のYさんだった



死亡交通事故に巻き込まれる
19歳の時、信号待ちをしていたところに車で追突され、脳挫傷で重体に。
生死を彷徨いました。
「心づもりをして下さい」の医師の言葉以前に、ビクとも動かずにグチャグチャにつぶれた頭からの多量の出血を多量の輸血で循環しているのを見れば「もうダメだろう」と両親はお葬式の写真を用意したそうです。
114日間の入院生活を経て退院しましたがその後も6年以上の通院が続き、病院と縁が切れない生活に。
自分が長い事患者となったため、この経験でとてもやさしい先生に出会い、「こういう先生になりたい」と思い、また、とても無愛想な先生にも出会い「こういう先生にはなりたくない」と思いました。
↓事故当時に乗っていた車










↑7日間の危篤状態から覚醒しその後、
埼玉医大高度救命救急センターICU
一般病棟になるまで回復した
出血多量後の輸血、左眼窩骨折、鼻骨骨折、前歯部破折、気管切開による発声不能(1か月筆談生活)、腸骨移植による歩行不能(3か月車イス生活)、腕から点滴、膀胱バルーン
痛みで生きている気がしませんでした。

ほぼ1度死んでいて、また生かされたため、その後は死ぬ気で他人の事を考えて生きていくようになりました。↓(聖隷病院に転医)



加害者のトラックは前方部より出火
↓運転手(21歳男性)は逮捕後亡くなりました

事故当時の診断書↓
脳挫傷、外傷性クモ膜下出血、顔面骨骨折意識障害、呼吸障害あり
初診時の意識障害継続期間6日間危篤状態 生きていたとしても植物人間、
意識が戻っても失明、車イスとの診断でした
 

↓事故後の3DCTです
鼻の骨がなくなりました



左眼球がつぶれ鼻中隔が曲がりました↓



あごの骨はバラバラになりました↓



術後の写真です↓
現在もまだ頭の中に複数のワイヤー残ってます

 

治療明細書の1部
7時間50分の手術で大量の輸血、
長期ICU、気管切開、骨移植がわかる







上あごの骨はなくなり、腰の骨を移植しました↓




 

バラバラになった頭蓋骨、顔面骨を
ボルトプレートワイヤーで固定
追突された瞬間から記憶がなく、7日後に目が覚めたら越谷総合病院のICUでした 

「ここはどこ?今日はいつ?何でここにいるの?」
気管切開で声が出ず、バタバタして、気付いてくれたナースに筆談したくても指が動かない
眼球損傷、複視でほとんど焦点が合わない言ってる事も遠くで聞こえて頭がガンガンしている
鼻は折れて骨ごとなくなってしまった。しばらくは五感の正常機能がすべて喪失した

その影響かは解りませんが、その後第六感が発達してきた??気がします
夜中の2時ころの事故でしたが、事故現場近くの人達が救急隊到着前に
必死になって消火器やホースで火を消してくれたと後で聞きました。
自分の車にも火が移ったようですが、焦げたくらいだったようです。
ドアが開かず、レスキューによって油圧式スプレッダーでドアを切って救出したようです。
多くの人に助けていただきました。

当時の新聞です。
この事故を経験して、患者の立場を深く考えるようになりました。
「患者の気持ちが分かる医師になりたい」このときの思いが、私を支えています。



頭と顔の骨をプレート、ワイヤー、腰骨の移植で固定して顔面のしびれなど後遺症は残ったものの、危篤の意識不明から無事生還 1度死んでからいただいた命だから1日を大切にすべてを死ぬ気で努力していこうと決心しました




五感と指先の細かい動きを鍛えるため学生時にもピアノやキーボードをやりました
交通事故後は「医療の知恵ばかりで人の気持ちを考えれない人」にはならないと決意しました



三木たかしさんには何度もお世話になりました
三木たかしさん:元日本作曲家協会理事長、元日本レコード大賞事務局長
主な作曲・・・・『それいけ!アンパンマン』オープニングテーマ曲「アンパンマンのマーチ」
                     エンディングテーマ曲「勇気りんりん」
        津軽海峡・冬景色、めだかの兄妹、もしも明日が…、つぐない、愛人、
        時の流れに身をまかせ
        ふり向くな君は美しい (全国高等学校サッカー選手権大会テーマ曲)




エイベックスの創業者として当時経営の中心を担っていたエイベックス元会長兼社長、エイベックス名誉会長、元日本レコード協会会長、依田 巽会長にお世話になりました
   




浜松医大入局

脳挫傷の危篤状態から無事復活し、留年、浪人せずにストレートで国家試験合格(当時24歳)ここからまた、土日祝のない過酷な試練が始まる
長時間の手術では医局に泊まり込みもありました(最長手術時間14時間28分:舌腫瘍、頚部郭清術、腫瘍切除術、植皮術、オペレコあり)
この後も出向や開業など恋愛、結婚もできず30歳を越していく




西6病棟(産婦人科病棟)
ナースステーション



東6病棟(泌尿器科、皮膚科病棟)








日本レーザー歯学会
浜松医大外来


多くの入院患者さんから手術後
お礼のお手紙いただきました
研修医では、ほとんど毎日、病棟での入院患者さんの処置、朝夜の点滴、ケモですが外来の当番日もありました。
毎日朝のカンファは必ずありました。
他科とのカンファ(耳鼻科や放科、内科との肝臓カンファ、ICUでのカンファなど)もありました。
医局に戻ると、サマリー、抄読会、診断書、パソロジー、学会、アナムネ整理、注射箋作成
浜松医大研修医終了
研修医期間中だけで145例の手術室での全身麻酔症例の経験あり
オペレコ(手術記録文書)あり その他 外来手術多数




日立製作所多賀総合病院勤務

歴史ある中核病院で他科と連携し総合病院のメンバーとして出向しました
 この病院では、全身的な多くの手術も経験しました。

 歯の痛みは歯からだけでなく、肩から歯にくる事もあり、疲れや、血液疾患、全身疾患からの痛みもあるため、1本の歯だけ診るのではなく、かみ合わせや他の疾患を診て統合医療の必要性を勉強しました。
 




 



医師室に泊まり込みもよくありました
当然土日祝なし
(当時ポケベルでのファーストコール担当医)





多賀総合病院医師団で、多種多彩の科の先生がら学びました
病院長の皮膚科の先生によく飲みにつれてっていただきました
副病院長の内科の先生に渓流釣りを教えていただきました
消化器外科の先生からお腹の手術を学びました
内科の先生には内服薬の勉強をさせていただきました
リウマチ科の先生からは唾液腺の造影手技を学びました
整形外科の先生からは論文を書く勉強をしました
眼科の先生からはシェーグレンを学びました
小児科の先生からは細い血管の注射を学びました
皮膚科の同期の先生とはよく学びよく遊び、アトピーやステロイドの使い方を教えてもらいました
麻酔科の先生には挿管、気管切開手技を学びました
この時の経験が現在の「歯だけ診ないで全身、その人を診る」事ができる歯科医師に成長できたと思います


日立への出向から大学に戻る時には、
日立の手術室のみなさんよりお手紙、
写真、色紙などいただきました
(マル秘ですので内容は見せれません) 


浜松医科大学附属病院歯科口腔外科勤務
・浜松医大
 入院患者様の処置、救急患者様の処置、ICUの処置 
 ゼク(死亡患者様の病理解剖)、死亡診断書作成

・社会活動
 献血センター(当時メイワン内)での献血担当医
 浜松駅構内での応急処置担当医
 企業健診(浜松ホトニクス、積水ハウス、
 日産自動車、エンシュウ、ハウス食品、SONY、
 ソミック石川、YAZAKI、第一工業、その他多数)


浜松医大ICU




麻薬免許:麻薬免許を取りました
     医薬品の扱いはとても厳重に教育受けました



浜松医大より修了証書授与を受けた開業歯科医はほとんどいません
インプラント手術、親知らず、口腔外科処置の症例数、実績は受診の際お聞きください

(電話での問い合わせは不十分の事があるのでお答えできません)




平成12年 やすらぎデンタルクリニック開院
内科、小児科、皮膚科、デイサービス、薬局でのグループ開業


開院後は浜松医大研究生となる


平成16年 浜松医療学院解剖学講師(全身骨学・筋学専門)
1クラス60人90分授業を週2回、
2年間講義しました



慶応大学医学部麻酔科研究会





赤坂プリンス(赤プリ)での社員研修会



平成20年9月12日 浜松医大・感染症学講座研究会


平成20年 北里研究所病院


平成21年9月12日 浜松医大・感染症学講座研究会


浜松労災病院 (現在は浜松労災病院に口腔外科はありません)
 


平成21年 広尾病院 救急救命センター、広尾看護専門学校


社会保険浜松病院 (往診)


聖隷病院 (往診)


H21年10月から デザイン(審美)の勉強のためJUNKO KOSHINO 様の事務所に
 通いました
 痛みをとる治療から、いかにキレイに治療するかへ


平成22年12月  医科研病院 ワクチンセンター


平成23年6月 浜松医大・開学記念式典


平成24年 母校 静岡県立浜名高校 講師






平成25年9月14日 浜松医大・感染症学講座研究会


平成25年12月24日・国税の税務調査結果です
過去から今までにおいて法人税、復興特別法人税、消費税、地方消費税、源泉所得税、復興特別所得税すべてにおいて1円単位まで申告漏れや訂正もなく「更生すべきがない」との通知を国税局よりいただきました
これからも引き続き、国民の三大義務の「納税の義務」を正しく理解し、しっかりと納税したいと思います
歯科治療以外の事でもルールを守る事が一流と考えています




H26年 日本医科大学
   



H26年 浜松市立開成中学校 講師
 2クラス担当し歯科医師の仕事内容から大人になる楽しさなど、熱心に聞いてくれました
   


● H26年 湖西市立新居中学校 講師
2クラス担当し歯科医師の仕事の楽しさなど、みなさん真剣に聞いてくれました


 
 


● H26年 浜松市立北浜中学校 講師
35人クラス担当し歯科医師の仕事内容など授業の後にも積極的に質問いただきました
 


● H26年 静岡県立大平台高校 講師
2年生を担当し歯科医師の仕事や進路相談などお話しました


● 平成26年9月13日 浜松医大・感染症学講座研究会


● 平成26年 東京慈恵会医科大学




●H27年 浜松市立江南中学校 講師
2クラス担当し歯科医療の仕事内容など、みなさんにたくさん質問いただきました




● H27年2月 エイベックスの創業者依田 巽会長(元日本レコード協会会長)と再会
 


● H27年 湖西市立岡崎中学校 講師


● H27年 磐田市立豊田中学校 講師


● H27年 湖西市立新居中学校 講師


● H27年 浜松市立都田中学校 講師


● H27年 浜松市北部中学校 講師


● 平成27年9月12日 浜松医大・感染症学講座研究会


● H27年 浜松市立与進中学校 講師


● H27年 浜松市立開成中学校 講師


● H27年 当院での中学生の職場体験
当メディカルセンター全体の見学
医療の仕事を体験後、多くの質問をいただきました


● H27年 浜松市立舞阪中学校 講師


● H28年 東京大学医学部附属病院


● H28年 浜松市立江南中学校 講師


● H28年 浜松市立曳馬中学校 講師


● H28年 静岡大学附属中学校 講師


● H28年 浜松市立新津中学校 講師


● H28年 浜松市立江西中学校 講師


● H28年 磐田市立城山中学校 講師


● H28年 東京医科大学病院


● H28年 当院での中学生の職場体験
医療の仕事を体験後、多くの質問をいただきました


出身地 静岡県浜松市
父は文丘町、母は袋井市
祖父は磐田市中泉
自分の性格 明るい
休日の過ごし方 ジョギング(1回5km)


論文を書く
掃除、洗濯(見かけによらずキレイ好き)
趣味 釣り
座右の銘 努力
好きな言葉 やりもせんでできんというな (堀之内九一郎)
あきらめないから失敗しない (中松義郎)
自慢できること 手先が器用
運がみえる(気がするだけ?)
第6感がある(気がするだけ?)
霊感はまったくない
好きな食べ物
好きな歌手 B’Z
マイブーム ダイエット(楽してやせたい)